第1章 消防設備業界のルフィ誕生!
消防設備点検やビルメンテナンスにおいてワーカーと発注者をマッチングさせるサービス『ビルメ』。業界が抱える人材不足問題の解消や、気軽に副業が可能になると話題になりました。そんな画期的なサービス『ビルメ』創業者の吉村社長に4回に渡ってインタビューをします!吉村社長はどんな方なのか、今回は原点からさかのぼって「消防設備業界の革命児」とも言われる由縁を探りたいと思います。
TOPIC
きっかけはお父さん
Q1.消防設備業界と出会ったきっかけは何だったのでしょうか?
出会いは父親が消防設備会社をやっていたことです。父は僕が小学校高学年くらいに起業しました。その時はよく理解してはいなかったのですが、自宅兼事務所ではじめたので「家に消火器が増えてきたな!」くらいの感覚ですね(笑)。 それで、父親から「手が空いてたら、消火器分解するの手伝え」と言われたりして。そういったお手伝いをしてみたりという形で、比較的小さな頃から消防設備に関わっていました。そして、大人になってからは父親の会社を継ぐと一時期思った事があったので、そこから本格的に消防設備士としてはじめました。
人を集めて、一つの目標をみんなで目指す
Q2.現在の吉村社長はパワフルで情熱的なタイプでいらっしゃるかと思うのですが、幼少の頃はどんなお子さんだったのですか?
幼稚園の頃までさかのぼったらめっちゃ泣き虫でした。「幼稚園行きたくない」ってずっと駄々をこねるタイプであったらしいですけど。(笑) どちらかというと目立ちたがりみたいな子でしたね。そして、色んな人たちと一緒に何かするっていうのが好きだったと思います。小学校の頃は、ソフトボールチームに入っていたんですけど、一番なりたいポジションは監督だったんです。監督になって、自分でチームを作ろうと思って。その時、小4だったんですけど、周りの家のピンポンを鳴らしまわって、自分より年下の子がでてきたら「野球チーム入らへんか?」って。(笑)そんな感じでチームメイトを集めました。半年間くらいそのチームで練習をしましたよ。土日は自分の所属しているチームで、平日は自分の作ったチームで練習するみたいなことをやっていたりしましたね。中学でもクラブがないところから新たに作ったりしました。大学生の時に音楽をはじめたのですが、演奏して人前で歌うのが楽しくて好きだったんですけど、一番楽しかったのは音楽イベントを作るっていうことでした。ボランティアスタッフを集めて月に1回イベントを野外でやるっていうのをずっとやっていました。やっぱり「色んな人たちと何かする」そして「一つの目標を皆で目指す」というのが昔から好きでしたね。
自分で会社を一からつくりたい
Q3.学生時代はソフトボールだったり音楽だったり色んなことをされていましたが、子供のころの将来の夢は何だったんですか?
昔から「社長になる」って言っていたらしいですね。父親も、母親も僕が中学生ぐらいから会社を経営しているから、なんとなく「やっぱり自分もそういうのやるんかな」みたいなことを思っていました。
父親の会社を継ぐのか、どうするのか決めかねている時があったんですけど、社長になるっていうのは決めていました。それから本格的に自分で起業するって決めたのは、父親の会社に入ってからやっぱり自分で会社をつくりたいっていう風に思ったからですね 。
一度、決めたら燃えやすい
Q4.では、今度は就職されてからについてお聞きします。最初にお勤めされたのはどんな会社だったのですか?
建築設備の設計事務所に就職しました。もともと建築学科を卒業したのですが、その流れで大学を卒業する時は自分で会社をつくろうと思っていました。スキルをつける事ができて、あまりライバルのいないところで、建築の中だと何かな、と思った時に、設備の設計というのはあまりプレイヤーがいないのではないかな。「そこで飛び抜けたらいいんちゃうかな?!」って思いました。それで、すごい熱い想いを持って就職したんです。でも3ヶ月やめたんですよね。なんかよくあるじゃないですか、就職する時はすごい燃えてたのに「あれ?あいつもう辞めた?」って。(笑)ああいうタイプだったんですよ。(笑)それですぐ辞めて、その後 1年間ニートしてました。
やりたいことが見つからない日々
Q5.潔く会社を辞めた後、どのように過ごしていたのですか?
辞めてから1年間ニートしている時は「俺何してんねんやろ」という風に思っていました。でもやりたいことが見つからなくて。そんな時に父親から「俺の会社を継げよ」って言ってもらって。でも、なんか父親と一緒に仕事するっていうのは・・うーーん。父と仲は良いけど「ちゃうな」って 思ってたんです。でも、ほんとにニートだったので大学の時に貯めた貯金がもうなくなるって時だったから、「まぁ、一回やってみよう」と思って、それで父親の会社に入社することにしました。それからは、もう頭を切り替えて「よし、2代目としてやるぞ」っていう想いで就職しました。
とにかく消防設備業界から離れたかった
Q6.ご実家の会社に転職されてから、違和感が芽生え出したのはなぜですか?
父親の会社の社員さんは長く働いていらっしゃる方が多くて、あと父親と苗字が一緒ですから「拓也」「拓也」って呼ばれるんですね。みんなそういう感じで。最初の僕は、もうすごい「やるぞ!」みたいなやる気満々だったんです。その時に、とある社員さんが僕の教育係としてついたんですけど、「いいか拓也、この業界っていうのはいろんな業界の出来損ないが集まる墓場みたいな業界やで」ってめっちゃ死んだ目で僕に喋りかけてきていたんですよね。僕はすごく素直なんで「え?そんな業界なの」って思って。その方と一緒に毎日ずっと行動するんですけど、日々の不平不満や会社の悪口、上司の悪口、社長の悪口・・・って、社長は俺の父親やけど(笑)。そういうことをずっと聞いていたんです。そうしたら、もうなんか僕も「仕事おもんないわ」「ダルイわ」っていう口ぐせがうつるようになってきていて。そんな状態の中で仕事を色々としていくけど、全部がおもしろくなく見えるんですよ。 どんどんどんどん、仕事が嫌いになっていくんですね。そんな中で「この業界っていうのはこんな人たちしかおらへんのや」って。その先輩もよく言ってますしね。それで「この業界って終わってんのや」とか「こんな業界から抜け出さないと」と思ったんですよね。消防設備業界からとにかく離れようっていう思いが、もうどんどんどんどん強くなって。
でも、そんな時に漫画『ONE PIECE』※を読んで、やっぱり自分で何か起業しようって決意が固まったんです。
東京で大冒険のような物語をつくる!
Q7.「やる気」をくじくような職場環境はつらいですね。でも、それが逆に独立して起業を目指すモチベーションになったということですね!起業しようと決意したときの周りの反応は?
起業したいということは、まず一番初めに父親に言ったんですよね。それで大反対されまして。(笑)「お前な、社会なめんなよ。そんな甘ないって。そんなんやったらうちの会社継げるんやから継いだらええやんけ。」って。でも僕は「『ONE PIECE』みたいなおもしろい起業物語を作るんや!」って言い返しました。そういう熱い想いを持っていたので「大冒険のような物語を作るんや」って父に言ったのですが「2代目として継いでからやれば良いやんけ」と説得されて、でも僕はまた「いや、ちゃう!」って言い返す。それで、父からは「とりあえず、周りの誰にも言うなよ。今のお前はヒートアップしてるだけやから、周りに絶対言ったらあかんで。取返しつかへんから。」って言われました。でも、僕は次の日から僕は周りに言いふらしました。(笑)もう目にとまる人全員に。よく行っていたコンビニの店員さんにさえ言ってましたね。「僕は1年後に東京で起業します」それだけは決めたんです。なぜ、そんなことを言いふらしていたのかっていうと、自分の逃げ道を無くそうと思ったんです。僕は自分を結構ヘタレだと思っていて、今まで自分に何か言い訳を作っては「やっぱりやめよう」というようなことをずっとやってきていたから。そんなんと決別するためには、周りに言いふらして、もう絶対行かなあかん状況にすることだと思いました。それに、1年後だと正直まだ現実味がないからこそ言えましたね。これが3ヵ月後とかだとリアリティが出て言いにくいのですけど。(笑)もちろん父親からは「なんでそんなこと言うんやー!」っていう電話がすぐにかかってきました。そんな訳で父親からは反対されたんです。その時はまだ結婚してなかったのですが、妻には付き合う前からそんなことをよく言っていたので反対はなかったです。とにかく父親と周りが猛反対でした。反対というか馬鹿にされることが多かったです。でも、よく考えたらそうですよね。初めて就職したところを3ヶ月で辞めて、その後1年間ニートをして、そして親の会社にどうしようもなくて入ったようなやつが、次は辞めて見知らぬ土地で起業する、しかも事業内容は考えていない。(笑)それは「アホか、社会なめんなよ」って言われますよね。でも周りに何と言われても自分だけは自信がありました。俺はこんなもんじゃないっていう風な自信だけはありました。何も成し遂げてないんだから、それはみんなに反対されて当然です。今の僕だったら一応の形上は最低限の成果が見えた状態ですから、何かやろうとしても、あまり馬鹿にされなくなってきています。でも一番初めっていうのは誰も何も成し遂げてない状態で何かをするわけだから、否定されて当然なんですよ。
つらい時はルフィに置き換えてみる
Q8.今までのお話を聞いていると、吉村社長はメンタルが強いようにお見受けしました。何かきつい時の心の支えみたいなものがあるんでしょうか?
自分はウルトラポジティブだと思いますね。いや、別に普通だとは思うんですけど。でも本当にしんどい時とかいっぱいあるんですよ。起業してからはもう『ONE PIECE』を超える物語を作るぞっていうのがあって、僕の教科書はルフィ(ONE PIECE)なんですよ。「ルフィやったらどうやってしゃべるんやろ」とか「ルフィやったらどうやって動くんやろ」とか。しんどい時や苦しい時、逃げたい時とかに、そうやって前を向けるっていうのはあるかもしれません 。
旅立ちを支えてくれた家族
Q9.上京して起業するということについて周りからの反対を押し切って、結局は上京を決行されましたが大反対だったお父様とはどうなったのでしょうか?
父親からは東京に行く1年前からめっちゃ否定されたんですよね。でも、最近周りの人から聞いた話ですけど父親はめっちゃ寂しかったらしいんですよね。そりゃそうですよね。僕とは仕事上の最低限の会話以外はしなくなっていたんです。それなのに、できるだけ僕を大阪に残そうとして「お前を次に主任にあげようと思っている」なんて言うんですよ。「何でやねん。俺はあと3ヵ月で東京に行くって言ってるやん!」って言い返しましたけど。まぁそんなこともありまして、父は上京を否定していたんだけど、引っ越しの前後を含めて三日間を勝手に休暇にしていることに気が付いたんです。それでその三日間は僕の引越しの手伝いをしてくれて、向こうに行ってからも荷解きを手伝ってくれて。結局、最後は肯定して送り出してくれたんですね。そんな父にはいつか親孝行をしたいと思っています。もし、父親が年齢的にもうしんどいってなったら、そこには社員さんがいるし、関係する取引先もいるわけだから、父親の会社を買収して、グループの中に入れるという形もアリなんかなって考えたりします。それも一個の継承の仕方なんかなって思っています。
編集後記
「仲間を集めて、みんなで1つのことを目指す」ことが昔から好きだった吉村社長。それは今でも吉村社長の中で軸となっているようです。だからこそ「消防設備業界でNO.1になる」という目標に向けて社員一丸となっているんですね。今では「革命児」と言われるような方でも、やりたいことが分からなくて苦しんだ時期がありました。そして、つらい日々から抜け出すために、周りの反対を押し切って心機一転、上京します。ニートだった時期さえあるのに、その行動力はさすがです。『ONE PIECE』をキーワードに「おもしろい物語を作る!」「東京で起業する!」という目標は東京で実現するのでしょうか?つづきは第二章で!
※『ONE PIECE』(ワンピース)・・・『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて連載の尾田栄一郎著の少年漫画作品。麦わら帽子がトレードマークの主人公モンキー・D・ルフィは「海賊王におれはなる!」という夢を持って一人で無謀な航海に出ます。そして仲間たちに出会い、数々の困難を一緒に乗り越えていく冒険物語です。